「事務所の大家さんが、近所の資産家(おじいちゃん)で、インボイス登録していないらしい…」
「毎月、通帳から家賃が引き落とされているけど、請求書も領収書も一度も見たことがない…」
インボイス制度の開始に伴い、多くのテナント企業(借主)が頭を抱えているのが「家賃(事務所・店舗・駐車場)」の扱いです。 毎月発生する高額な経費であるため、もし消費税の控除ができなくなれば、そのダメージは甚大です。
特に問題となるのが、「大家さんが個人の場合」です。 大手不動産会社が管理するビルなら安心ですが、個人の大家さんは「免税事業者(消費税を納めていない人)」であることが多く、インボイス登録をするメリットが薄いため、未登録のままであるケースが多発しています。
「大家さんが未登録なら、家賃の消費税分は損をするの?」 「契約書を作り直さないといけないの?」 「居住用の社宅はどうなる?」
この記事では、不動産賃貸特有のインボイスルールを解き明かし、契約書の特例(口座振替特例)の活用法から、大家さんが未登録だった場合の「経過措置シミュレーション」、そして法的リスクを回避した「交渉術」まで、プロの税理士が徹底的に解説します。
- 消費税法 第30条:仕入れに係る消費税額の控除(インボイス保存要件)
- 消費税法 基本通達 11-6-3:口座振替等による家賃の保存書類の特例
- 消費税法 別表第一:住宅の貸付け(非課税取引)
- 独占禁止法:優越的地位の濫用(一方的な家賃減額の禁止)
第1章:まずは区分け!「インボイスが必要な家賃」とは?
すべての家賃にインボイスが必要なわけではありません。 不動産賃貸には「課税(消費税がかかる)」と「非課税(消費税がかからない)」の2種類があり、ここを混同すると無駄な労力を使うことになります。
1. 「居住用(住宅)」はインボイス不要
アパート、マンション、社宅など、契約書で「居住用」となっている物件の家賃には、そもそも消費税がかかりません(非課税取引)。 消費税0円なので、インボイス(適格請求書)も存在しませんし、大家さんが登録していようがいまいが、会社の経理には一切影響しません。
社宅や寮の大家さんには、インボイス登録番号を聞く必要すらありません。今まで通りでOKです。
2. 「事業用(事務所・店舗・駐車場)」はインボイス必須
オフィス、店舗、倉庫、工場、そして駐車場(月極・コインパーキング)の賃料には、消費税(10%)がかかります。 こちらはインボイスの対象です。もし大家さんが未登録であれば、会社は消費税分の控除ができず、コストアップになります。
※「マンションの一室を事務所として借りている」場合、契約書が「事業用(事務所)」となっていれば課税、「居住用」となっていれば非課税です。 (実務上は契約内容が重視されるケースが多いですが、税務上は実態判定が原則ですので、契約と実態が異なる場合は税理士にご相談ください)
第2章:毎月の請求書がない!「契約書」をインボイスにする方法
家賃の支払いは、毎月請求書が送られてくるわけではなく、「契約に基づき毎月27日に引き落とし」というパターンが一般的です。 「請求書がないのに、どうやってインボイスを保存すればいいの?」 という疑問に対し、国税庁は以下の解決策(口座振替特例)を示しています。
「契約書 + 通帳のコピー」でOK
わざわざ大家さんに毎月請求書を発行してもらう必要はありません。 以下の2つをセットで保存し、一定の要件(登録番号・取引内容等)が満たされていれば、保存要件を満たすものとして取り扱われています。
- ① インボイスの必要事項が記載された「賃貸借契約書」
- ② 支払った事実がわかる「通帳の記録」や「振込明細書」
契約書に「登録番号」がない場合の対処法
しかし、過去に結んだ契約書には、当然ながら「登録番号(Tから始まる13桁)」は載っていません。 この場合、契約書を巻き直す(作り直す)必要はありません。 大家さんから「登録番号のお知らせ(通知書)」を一枚もらい、それを既存の契約書と一緒に保管しておけばOKです。
件名:インボイス登録番号のご確認のお願い
「お世話になっております。〇〇ビルのテナントの株式会社△△です。
インボイス制度開始に伴い、貴殿の登録番号を確認させていただきたく存じます。
登録済みの場合は、番号を記載した通知書(メモやメールでも可)をいただけますでしょうか。
未登録の場合は、その旨をご教示いただけますと幸いです。」
第3章:大家さんが「未登録(個人)」だった場合の損害額
確認の結果、「私は高齢だし、消費税の申告なんてできないから登録しないよ」と言われた場合。 借主であるあなたの会社は、どれくらい損をするのでしょうか。
基本:「経過措置(80%控除)」が使える
大家さんが免税事業者で未登録の場合でも、いきなり全額損をするわけではありません。 6年間は「経過措置」により、一定割合の控除が認められています。
| 期間 | 控除できる割合 | 会社の実質負担増(消費税額の) |
|---|---|---|
| 〜2026年9月30日 | 80% 控除可能 | 20%(家賃総額の約2%) |
| 〜2029年9月30日 | 50% 控除可能 | 50%(家賃総額の約5%) |
| 2029年10月1日〜 | 0%(控除不可) | 100%(家賃総額の約10%) |
※いずれも2023年10月1日開始のインボイス制度に伴う経過措置です。
【シミュレーション】家賃22万円(税込)の場合
消費税額は2万円です。
現在(80%期間)は、2万円のうち16,000円は控除でき、「4,000円」だけ会社が損をします。
年間で48,000円の負担増です。
これを「許容範囲」と捉えるか、「無視できないコスト」と捉えるかで、次のアクション(交渉)が変わります。
第4章:トラブルにならない「家賃交渉」の手順
「負担が増えるなら、家賃を下げてほしい」 そう思うのは当然ですが、進め方を間違えると「借地借家法」や「独占禁止法」のトラブルになります。
NG対応:一方的な減額通知
「インボイス未登録なので、来月から消費税分(10%)を引いて振り込みます」 これは絶対にやってはいけません。 取引関係や契約内容によっては、優越的地位の濫用と評価されるリスクがあります。また、家賃の減額は双方の合意が必要です。
正しい手順:実損分の調整をお願いする
ステップ1:負担額を提示する
「大家さんが未登録のままだと、当社は年間〇〇円の税負担増になります」と具体的な数字で伝えます。
ステップ2:経過措置分の値下げを打診する
「消費税全額(10%)」ではなく、当面は「会社が損をする分(消費税相当額の20%=家賃の約2%)」だけの値下げをお願いするのが、最も合理的で合意を得やすいラインです。
ステップ3:覚書を交わす
合意が得られたら、口約束ではなく「家賃変更の覚書」を作成します。
家賃110,000円(税込)の場合
・借主の希望:消費税分引いて100,000円にしたい。
・貸主の事情:100,000円に減収するのは嫌だ。
↓
・妥協案:実損分(消費税1万×20%=2,000円)を引いて、108,000円にする。
これなら貸主も「登録して課税事業者になる手間と税金」よりはマシだと判断しやすいです。
第5章:実は使える?「大家さん側のメリット」を伝える
大家さんが個人の場合、「インボイス登録=消費税納税=損」と思い込んでいるケースが多いです。 しかし、実は登録しても損をしない、あるいは得をするケースもあります。それを伝えて登録を促すのも一つの手です。
1. 簡易課税を選べば負担は少ない
不動産賃貸業(建物の貸付け等)は、原則として簡易課税の第6種に該当し、売上税額の40%を経費とみなせます(納税額は売上税額の60%)。 しかし、実はもっと有利なのが「2割特例」です。これを使えば、売上税額の20%だけ納めれば済みます。 (※2割特例は、課税売上高1,000万円以下の事業者が、一定期間に限り選択できる特例です)
2. 「インボイス対応物件」としての価値
今後、テナントが退去して新しい入居者を募集する際、「インボイス発行可能物件」であることは強力な武器になります。 逆に未登録物件は、法人テナントから敬遠される(または賃料交渉される)リスクが高まります。 「将来の空室対策として登録しませんか?」という提案は、大家さんの心に響くかもしれません。
第6章:経理処理の注意点と「支払手数料」の謎
家賃と一緒に払うものや、敷金の扱いについても解説します。
更新料・礼金・共益費
これらは基本的に家賃と同じ扱いです。 ・事務所の更新料:課税(インボイス必要) ・住宅の更新料:非課税(インボイス不要)
仲介手数料
不動産会社に払う仲介手数料は、居住用・事業用に関わらず「全額課税」です(ここを間違えやすいです!)。 不動産会社は通常インボイス登録していますので、登録番号入りの領収書をもらえばOKです。
敷金・保証金
これらは「預け金」であり、返還されるものなので消費税はかかりません(不課税)。 ただし、「償却(敷引き)」があって返還されない部分は、契約終了時などに家賃(または譲渡対価)として課税される場合があります。
第7章:【FAQ】家賃インボイスの実務Q&A(20選)
最後に、現場でよくある疑問に一問一答形式で回答します。
Q1. 大家さんが番号を教えてくれません。どうすれば?
A. 国税庁の公表サイトで検索できます。
大家さんの氏名と住所がわかれば、国税庁の「適格請求書発行事業者公表サイト」で検索可能です。氏名等で検索可能ですが、同姓同名などで特定できない場合は未登録として扱います。
Q2. 振込手数料を借主負担にしています。インボイスは?
A. 銀行のインボイスが必要です(ATM特例などに注意)。
家賃と一緒に払う振込手数料も会社の経費です。ATMなら不要(自販機特例)ですが、ネットバンキングなら銀行からインボイスをダウンロードする必要があります。
Q3. サブリース(転貸)物件の場合、誰の番号が必要ですか?
A. 直接の契約相手(サブリース会社)の番号です。
大元のオーナーが誰かは関係ありません。お金を払っている相手(管理会社やサブリース会社)がインボイス発行事業者であれば、全額控除可能です。
Q4. 駐車場代だけ別契約で借りています。
A. 駐車場は原則「課税」です。
アパートの家賃(非課税)と一緒に払っていても、駐車場部分が明確に区分されていれば、その部分は課税取引となります。土地の貸付けに該当する場合は非課税となることがありますが、区画整備や設備の有無により課税となるケースもあります。
Q5. 簡易課税を選んでいる会社ですが、家賃のインボイスは必要?
A. 消費税計算上は不要ですが、保存は推奨されます。
簡易課税や2割特例の場合、経費のインボイス保存は仕入税額控除の要件ではありません。大家さんが未登録でも損はしません。ただし、法人税の証拠書類として契約書や通帳記録は必要です。
Q6. 家賃支援給付金などの助成金をもらっている場合は?
A. 助成金は「不課税」なので、家賃の支払い(課税)とは別で考えます。
助成金は消費税の対象外です。支払った家賃についてのインボイス要件は変わりません。
Q7. 大家さんが途中でインボイス登録をやめたら?
A. 登録の効力が失われた日以後の取引から、控除が制限され経過措置の対象となります。
大家さんは登録を取り消す場合、借主に通知することが一般的です。通知を受け取ったら、いつから登録の効力がなくなるかを確認し、その日以降の会計処理を「本則10%」から「経過措置80%」に変更します。
Q8. 社宅の家賃を会社が払って、社員から一部徴収しています。
A. 支払いは非課税、徴収も非課税です。
居住用なので、会社が大家に払う家賃は非課税(インボイス不要)。社員から天引きする家賃も非課税売上となります。
Q9. 契約書の作成日が2023年9月以前でも有効ですか?
A. 有効です。
契約日がインボイス制度開始前であっても、現在有効な契約書であれば問題ありません。不足している「登録番号」を通知等で補完すれば要件を満たします。
Q10. 口座振替ではなく、現金手渡しの場合は?
A. 毎回「領収書」をもらってください。
手渡しの場合は、通帳の記録が残りません。大家さんから毎回、登録番号入りの領収書をもらう必要があります。
Q11. 不動産管理会社から「精算書」が届いています。
A. 媒介者交付特例の要件を満たし、管理会社の登録番号が記載されていればOKです。
管理会社が大家の代理としてインボイスを発行しているケース(媒介者交付特例)です。この場合、大家さん個人の番号ではなく、管理会社の番号で処理できます。
Q12. 少額特例(1万円未満)は家賃にも使えますか?
A. 駐車場代などには使える場合があります。
税込1万円未満であれば、相手が未登録でも全額控除可能です。事務所家賃で1万円未満は稀ですが、月極駐車場ならあり得ます。※少額特例は一定期間の時限措置です。
Q13. 敷金の返還を受けた時、インボイス(返還インボイス)は必要?
A. 単なる返金なら不要です。
預けたお金が戻ってきただけなら「不課税」なので不要です。ただし、原状回復工事費などを差し引かれた場合は、その工事費についてのインボイスが必要です。
Q14. 登録番号の通知はメールでもいいですか?
A. はい、メールやLINEでもOKです。
紙である必要はありません。メールを印刷して契約書と一緒に保存するか、電子データとして保存しておけば大丈夫です。
Q15. 共有名義の物件の場合はどうなりますか?
A. 全員の登録状況と持分割合の確認が必要です。
例えば夫婦で共有しており、夫は登録、妻は未登録の場合、持分割合に応じて按分計算する必要があります。非常に複雑なので、代表者一人が「幹事」としてインボイスを発行してもらう形が望ましいです。
Q16. 契約書を紛失してしまいました。
A. 再発行してもらうか、覚書を交わしてください。
契約書がないと「契約内容(課税資産の譲渡等)」を証明できません。インボイス要件以前の問題として、税務上リスクが高いので早急に対応してください。
Q17. 大家さんが海外居住者の場合は?
A. リバースチャージ方式の検討が必要な場合があります。
事業用物件の大家が非居住者で、国内取引に該当し、かつ課税売上割合が95%未満の場合など、借主側で消費税を納める「リバースチャージ」の対象になる可能性があります。専門的な判定が必要です。
Q18. インボイス制度を機に退去させられることはありますか?
A. 正当事由がない限り、一方的な契約解除はできません。
インボイス対応を求めたことを理由に退去を迫ることは、借地借家法上認められません。
Q19. 電子帳簿保存法との関係は?
A. 契約書がPDFなら電子保存、紙なら紙保存でOKです。
契約書を紙で交わしていれば紙保存で大丈夫です。通帳も紙ならそのままでOK。ネットバンキングの振込明細は電子取引なのでデータ保存が必要です。
Q20. 税理士に相談するタイミングは?
A. 大家さんが未登録だと判明した時点で相談してください。
交渉すべきか、経過措置で処理すべきか、シミュレーションを行います。決算直前だと対応できません。
まとめ:家賃は「毎月続く」からこそ早めの対策を
家賃のインボイス対応は、一度設定してしまえば後はルーチンです。 しかし、最初の「大家さんの確認」と「契約書の整備」を怠ると、毎月毎月、静かに損失が積み上がっていきます。
「大家さんへの通知文面を作ってほしい」「経過措置の計算が合っているか不安」
そのようなお悩みがあれば、ぜひ荒川会計事務所にご相談ください。 不動産オーナーとの交渉経験も豊富な税理士が、あなたの会社の利益を守るためのサポートをいたします。
記事執筆監修者
荒川会計事務所(経営革新等支援機関(認定支援機関))代表税理士・登録政治資金監査人・行政書士の荒川 一磨です。
会社設立と創業融資を得意とし、何でも相談できる話しやすいパートナーであることを心掛けている事務所です。
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